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ハイレッド・センター

公開日: 2026年9月18日

芸術と社会の境界を検証する

ハイレッド・センター(Hi-Red Center)は、1963年に高松次郎(たかまつじろう)、赤瀬川原平(あかせがわげんぺい)、中西夏之(なかにしなつゆき)が結成した前衛芸術のグループです。三人の苗字の頭文字(高=ハイ、赤=レッド、中=センター)を英訳して並べたものをグループ名としており、公共性を装いながら都市の日常に介入し、芸術と社会の境界を検証する活動を行いました。代表的な実践として、「首都圏清掃整理促進運動」や「シェルター計画」が知られています。

計画に基づく行為

結成のきっかけは、雑誌『形象』の座談会に三人が同席したことにあります。1960年代前半の反芸術(既存の美術制度や作品観に対して批判的に振る舞う潮流)の只中にありながら、即興的な感情の発露ではなく、あらかじめ練った計画に基づいて行為を実行した点が特徴です。結成前の1962年には、高松と中西らによる山手線車内などのパフォーマンス「山手線事件」が行われ、初期の活動として認識されています。

繰り返された「介入」

1963年5月の「第5次ミキサー計画」は、ハイレッド・センターを名乗った最初のグループ展です。ここでは、高松の紐、赤瀬川の千円札、中西の洗濯ばさみといったオブジェ(物体としての作品)を展示しました。同年の「第6次ミキサー計画」ではギャラリーを飛び出し、街頭での行為が展開されました。「シェルター計画」では、帝国ホテルの一室で個人の身体測定を行い、個人用の核シェルターを受注する体裁をとりました。1964年10月10日の「ドロッピング・イヴェント」では、屋上から日用品を投げ落とす、挑発的なアクションを行いました。同月16日の「首都圏清掃整理促進運動」では、白衣を着て銀座の舗道を雑巾がけしました。

広がった参加者と千円札裁判

中心メンバーは高松、赤瀬川、中西の三人です。活動には和泉達、刀根康尚(とねやすなお)、小杉武久らが加わることもありました。久保田成子(くぼたしげこ)やナム・ジュン・パイクの紹介を通じ、フルクサスとも交流しました。グループ活動の一方で、千円札を模した作品をめぐる「千円札裁判」が起き、司法の場でジャーナリストが芸術論を争うという特異な出来事となりました。

短期間の活動

活動期間はおおむね1963年から1964年です。グループとしての実践は「首都圏清掃整理促進運動」の後に終息しました。その後も、都市空間での直接行動や反芸術の事例として引用され、展覧会や研究の対象となっています。2013年から2014年にかけては、結成50年を記念する展覧会「ハイレッド・センター:『直接行動』の軌跡」が渋谷区立松濤美術館などで開催されました。

参考文献

ムーブメント

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